たのしく生きたい

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せめて生きてから死ね

この記事は 人生 Advent Calendar 2018 - Adventar の9日目の記事であり、また、自分自身に宛てた人生についてのポエムです。

概要

以下について書きます。

  • とりあえず生きのびてみる
  • 人生の意味
  • 具体的なことを考える

とりあえず生きのびてみる

自分は鬱になりがちな傾向があり、そういうときはどうしても「生きるか死ぬか」みたいな思考になりがちである。

そんなときはたいてい、こち亀の「悩んだらまず『生きる』モードに切り替えてからスタートだ!」という画像を思い出す*1

「とりあえず死ぬ」という選択を取ることは簡単で、首を吊ってもいいし屋上から飛び降りてもいい。しかし、死んでからまたもう一回生きることはできない*2。それなら、とりあえず生きてみて、どうしようもなくなってから死ぬのでも遅くはないんじゃないだろうか。

そんなゆるっとした考えで、ひとまず生きのびてみるという選択を取り続けてなんとか今まで生きてこれた気がしている。

人生の意味

たくさんの人間が「人生の意味とは何か」みたいなことで悩み出したのって、近代以降の出来事なんじゃないかとなんとなく感じている。

古代ギリシャの時代から「善く生きるとはどういうことか」ということはずっと考えられてきたと思うけど、それは哲学者や支配階層のひとびとの話で、いわゆる一般庶民の人々や、それこそ奴隷として扱われていたひとびとにとっては、あんまり関係なかったんじゃないかと勝手に思っている。

そもそも近代以前*3、人間の命の価値はそんなに重くなかった。例えば、子どもの生存率は今よりも低かったので、たくさん産んで上手く生き残れるやつがいれば良し、みたいな感じだったんじゃないだろうか。また、今みたいに子どもは家族や地域みんなで守り育てるものというより、特に農村部では単なる労働力として扱われていたらしい。フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生』という本にそんな感じのことが書いてあった気がする*4

そういう時代と比べると今の社会はとにかく変化が激しいから、不安になったり生きづらさを感じたりしてしまっても仕方ないかなと思ってしまう。まあ人は鬱になったりするもんだと思っておくと良いかもしれない。

「人生の意味とは何か」「自分は何のために生まれてきたんだろう」みたいなことで悩み出すと、ひたすら落ち込んでしまいがちである。「そんな悩みこそ意味がない」とか「人生の意味を見つけるのが人生だ」とか言われるかもしれないけど、そんなマッチョなこと言われてもなーって感じだ。

「悩んでもしょうがない」みたいなノリにはどうしても乗れなくて、むしろ悩み始めてしまったときはとことんまで悩み抜いてみるのも良い気がしている。その先に何らかの答えが見い出せればそれはハッピーなことだし、何もわからなくても「とりあえず悩んだ」という経験自体に意味を見出すこともできる。いったん死なない程度に悩んでみるのは、けっこうありな気がしている。

具体的なことを考える

落ち込んでしまったときに、具体的に死ぬ計画を立ててみるのはわりとありなんじゃないかと思っている。例えば、1990年代に話題にも問題にもなった鶴見済完全自殺マニュアル』はそんな感じの本だと思う。意外とあっさり死ねるんだな、人生なんてあっけないんだな、みたいに思えると自分の命を重くとらえすぎなくて済んで、なんとなく元気になれるんじゃないだろうか*5

そもそも「生とは」「死とは」「人生とは」みたいな抽象的なことを鬱っぽいときに考えても良くないと思う。そういうことは元気でエネルギッシュなときに考えて答えを見出せば良いので、元気がないときはむしろ具体的なことに思考を落とし込んだ方が悩みが軽くなる気がする。

特に数字に換算できるほど具体的なことを考えられると、いろんなことを可視化しやすくなって良いと思う。自分が今年鬱っぽくなったときは、「とにかく映画をたくさん観る」という目標を立ててみた。「今年中に50本以上映画を観る」というような形で具体的な数値目標を立てて、その実現のために月単位・週単位の計画を立てて実行していた。そうすると、ひとまず目の前のことに集中できるし、人生に実益のなさそうな目標でもとにかく達成できれば嬉しい気持ちになれる。金銭とは異なる形で数字の奴隷になってみるのはわりと気分が良い体験だと感じた。

まとめ

そんなこんなで、今年もなんとか生きのびることができた。もちろん、上記のような考えですべての人の悩みが解消できるとは思っていない。結局これも文字通り生存バイアスであるし、意図するにせよしないにせよ、本当にどうすることもできずに死んでしまう人もたくさんいると思う。

ただ、生きるか死ぬかを選択することのできる状況にあるなら、せめて生きてから死ね。生と死が同価値ならば、死を選択するのと同様に生を選択することも可能なはずだ。いったん生きてみてから死んでみるのも、そんなに悪い選択ではないだろう。

来年もまた生きのびられると良いな*6

*1:こち亀 生きる - Google 検索 Twitterでもたびたびバズってる気がするので、よく目に入る。

*2:輪廻転生とかはよくわからない。

*3:「近代」とかいうよくわからない言葉を使っているが、ひとまず自分は「市民革命・産業革命・科学革命の進展、そして資本主義の浸透以降の時代」というゆるい理解のもとで言及している。専門家さんとかには怒られそう。

*4:ちなみに僕はこの本を読んでいない。

*5:他にも、雨宮処凛自殺のコスト』という、自殺するとどれほど金銭的なコストがかかってしまうのかを淡々と記述した本がある。しかし、僕の場合はこれを読むと逆に、憂鬱な資本主義リアリズムに憑りつかれる感じがして、元気がなくなってしまう。

*6:でも、あんまり先のことを考えすぎるとまた抽象的な思考に陥ってしまうので、元気じゃないときは明日のこととか1週間後のこととか、長くても3か月後くらいのこと考えればそれでよいと思う。あなたの人生に幸あれ。